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呉医療センターでの3年間

呉医療センターの勤務最終日に同僚スタッフからいただいた寄せ書き
勤務最終日に同僚スタッフからいただいた寄せ書き

2年間の初期研修が終わり、僕は呉医療センター呼吸器内科医として勤務することになりました。

呉で過ごした3年間が今振り返ると最も忙しかったのではないかと思います。一方で、その経験が現在の僕の土台となっていることは間違いありません。

そこで今回は、呉医療センターに勤務した後期研修医時代のお話をしたいと思います。

勤務初日で打ち砕かれた自信

県立広島病院での初期研修2年目の後半を呼吸器内科で研修した僕は、呉医療センターでも呼吸器内科医としてなんとかやっていけると考えていました。

しかし、その自信は初日の外来診療で打ち砕かれてしまいました。

呼吸器内科医になってすぐの僕は専門的な知識も乏しく、外来診療の場では自分ひとりしかいないため、最初の頃はとても苦労したことを覚えています。

とにかく毎日全力投球!

しかし、クヨクヨしている時間もなく、毎日必死に勉強し何とか食らいつきました。

幸運なことに当時の呉医療センターは救急外来で呼吸器の病気(肺炎や気胸など)と診断されたら、休日でも昼夜問わず呼び出していただけるありがたい環境であったので、すぐに多くの経験を積むことができました。

24時間365日呼び出しがあるため、“携帯電話を常に肌身離さず持つ”という習慣が自然と身につきました(入浴の時は扉のすぐ外、寝る時は枕元です)。

当直も大忙し

呉医療センター名物(?)の当直

呉医療センターは正式名称に「中国がんセンター」という名がついているように、肺がんの患者様も非常に多く抗がん剤治療や緩和治療に関しての経験も多く得ることができました。

また何といっても夜の当直が本当に忙しかったです。ひっきりなしに救急車が到着するため、夜は一睡もできないこともよくありました。

内科全般の知識を深めていく

呼吸器以外の病気もたくさん経験しました

呼吸器内科医として怒涛のような1年間を過ごした僕は徐々に自信をつけていきました。

翌年にはご縁もあり、呼吸器内科としての仕事の傍ら、週に1日救急科として“日中にやってくる内科系のすべての救急車の初期対応をおこない、診断し、色々な科に振り分ける”という業務を与えていただきました。

その業務を1年間こなすことで呼吸器領域だけでなく、内科全般の豊富な臨床経験を得ることができ、当時の上司の先生方には大変感謝しております。

人生はすべて繋がっている

さらに東京都立川にある災害医療センターでの災害医療研修に参加する機会も与えていただきました。

災害医療研修とは、3日間にわたり災害医療の現場で役立つポイントを座学と実習で学ぶ研修会で、呉医療センターの医師代表として派遣していただきました。

そのときに地震や放射線被ばくの講習も受けたのですが、まさかその数年後に福島県に復興支援業務に行くことになるとは想像もしていませんでした。

“人生はすべて繋がっている”とはまさにこのことだと今振り返ってみると感じます。

これからもイキイキと頑張ります!

呉医療センターでは忙しいながらもとても充実した3年間を過ごすことができました。

現在もJMECCの指導で定期的に病院を訪れる機会があり、病院までの坂道を登っていると当時のことが鮮明に思い出されます。これから先、年をとってもあの頃のようにイキイキと仕事に励んでいきたいと思います!

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東広島市西条町助実の内科・呼吸器内科・アレルギー科の『西条すこやか内科』は、いつまでもイキイキと全力投球で診療に臨みます!今後とも宜しくお願いいたします!

西条すこやか内科 
院長 奥本 穣(呼吸器専門医・総合内科専門医)