Blog 西条すこやかブログ
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まさに”青春は密”だった高校時代

『西条すこやか内科』院長の高校時代
高3の野球部引退時のチームメイトや監督との打ち上げ

今回は高校時代についてです。

部活に打ち込んだ3年間

高校に入ってからも相変わらず野球ばかりしていました(ちなみに学院は高校も軟式野球です)。全体練習は週2日だけなので、練習量が絶対的に足りません。そこで練習がない日も、学校の裏山(通称“カントリー”)を走ったり、バッティング練習をおこなっていました。練習の成果もあり、僕らの世代は秋の県大会で優勝することができました!


そして、練習が終わると友達と広島市民球場にカープの試合を観に行くのが定番でした。当日でもカープのチケットが余っているなんて、今では到底信じられませんね。

現役合格できず浪人生活へ

勉強はというと、もちろん授業は真面目に受け、宿題もちゃんとしていました。しかし、それ以上のプラスαは特にしないまま高校3年間を過ごしました。当然ながら志望校には現役合格できず、浪人生活を余儀なくされました。
その後、1年間の浪人生活を経て、運良く大分大学医学部に合格することができました!なぜ医師を目指したのかに関しては、また後日改めてお伝えさせてください。

学院での中高6年間

振り返ってみると、学院での6年間はとても楽しかったです!「男子校は嫌だ」や「山の上だから楽しくなさそう」などと時々言われますが、中学・高校の大切な6年間を学院で過ごしたからこそ学んだこともたくさんあります!!いま小学6年生に戻れたとしても、僕は迷うことなく学院を選ぶと思います。中高時代の友達とは結婚式などのイベントで今でも会いますが、何年経ってもいまだに色々な話で盛り上がれる貴重な仲間たちです。

最後になりますが、学院には学生食堂(学食)はありません。つまり、毎日お弁当を持っていく必要があったのです。僕の場合は、母親が朝早くに起きて、中高6年間にわたり毎日お弁当を作ってくれました。しんどいときもあったと思いますが、毎日欠かさずお弁当を作ってくれたことを、心から感謝しています!!この場を借りて母親に感謝したいと思います。

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東広島市西条町助実の内科・呼吸器内科・アレルギー科の『西条すこやか内科』は、男子校出身で野球好きな院長が診療しています!今後とも宜しくお願いいたします!

西条すこやか内科 
院長 奥本 穣(呼吸器専門医・総合内科専門医)