人生観が変わった福島での3ヶ月
広島大学では“医療支援を通じて福島復興に協力する”という趣旨のもと、福島県のふたば医療センターに医師派遣を続けています。
この病院は福島第一原子力発電所から8kmほどの場所にあり、被災地復興に向けて整備された病院です。
ご縁があり、僕は2022年の春に福島県へ派遣されました。
そこで今回は、ふたば医療センターに勤務した3ヶ月間のことをお伝えしようと思います。
”復興”とは程遠い現実
少しずつ避難指示も解除され地域住民の帰還も徐々に進んでいるとはいえ、当時はまだまだお世辞にも復興したといえる状況ではありませんでした。
道路は原発関連の大型車両が行き交い、震災によって室内が散乱したままという建物も数多くありました。
どんな患者でも受け入れる
ふたば医療センターは、“どんな病気でも、どんなに重症でも断らない”という方針の病院であり、本当に色々な経験を積むことができました。
また病院のすぐ近くにドクターヘリが待機しており、緊急時は福島市などにある大きな病院に患者様を搬送するためヘリに同乗することもありました。
なかでも、けいれんをきっかけに脳腫瘍が発見された赤ちゃんを搬送した際の緊張感は今でも忘れられません。
現地で感じたこと
ここで僕がお伝えしたいのは、「もし機会があれば福島の被災地に一度行ってみて欲しい」ということです。
僕自身、こういった機会がなければ被災地へ行くことはおそらくなかったと思います。
しかし、現地に行ったからこそ肌で感じたことが多くあります。
僕が地域住民の方と話す中で最も印象に残ったのは「水や電気が復旧して避難指示も解除されたからってすぐに暮らせるわけじゃない。家族のこともあるし、何をするにしてもまだまだ環境が全然整っていない」と言われていたことです。
その方はどうしても地元で暮らしたいと帰還された方でしたが、いちばん近い散髪屋に行くのですら1時間以上かかると言われていました。
普通の生活のありがたみ
2011年に東日本大震災が発生してから多くの月日が流れ、今では報道などで被災地の様子が取り上げられることもめっきり少なくなりました。
僕が実際に福島に行って感じたことは、“被災地の復興はまだまだ程遠い”ということ、そして“いま自分が何の不都合もなく普通の生活が送れていることへの感謝の気持ち”です。
3か月の福島生活で僕は福島の被災地の問題を絶対に風化させてはいけないと強く感じました。
人生観が変わる場所
広島から福島までは7時間程度と遠いですが、機会があればぜひ被災地に行って肌で現地の雰囲気を感じてみてはいかがでしょうか?
その際は、双葉町にある「東日本大震災・原子力災害伝承館」に寄ってみてください。
震災当時の実物資料や当時の被災者の写真なども多く展示してあり、被災した子どもたちの写真をみて僕は涙が止まらなくなりました。
「何気ない日常が決して当たり前ではない」ということに気づかせてくれる場所であり、少し大げさかもしれませんが“人生観が変わる場所”だと思います。
福島はグルメもたくさん
それに、福島県には「円盤餃子」「喜多方ラーメン」「クリームボックス」「なみえ焼きそば」など美味しいグルメもたくさんあります。
ちなみに福島の応援ポケモンは“ラッキー”です。
浪江(なみえ)町にはラッキー公園という可愛い公園があります。
僕も仕事で疲れたときに何回か訪れて、気持ちをリフレッシュしていました。
ぜひ機会があれば、いちど福島県を訪れてみてください!
★広島大学病院のホームページに僕の記事が掲載されています★
こちらから〉〉 広島大学病院の病院長へ出向報告
東広島市西条町助実の内科・呼吸器内科・アレルギー科の『西条すこやか内科』は、“広島生まれ広島育ち”の院長が診療しています!今後とも宜しくお願いいたします!
西条すこやか内科
院長 奥本 穣(呼吸器専門医・総合内科専門医)