学業も頑張った大学時代~後編~
今回は大学時代(後編)です。
前編はプライベートな内容が中心でしたので、後編は学生の本分である“学業”についてです。
恐れられたドイツ語の授業
医学部といっても6年間ずっと医学の勉強だけをするわけではありません。1年生と2年生のあいだは数学や物理、体育の授業までありました。
当時の大分大学の名物といえば、ドイツ語の授業です。とても厳しい先生で有名で、何人も留年させることで恐れられていました。ドイツ語の知識はもとより、一般的な教養(例えば偉人や政治家の名前・慣用句・百人一首など)も要求する先生でした。
当時は同級生とブーブー文句を言っていましたが、社会人として働きだしてから一般教養の必要性を強く感じるようになり、当時の先生が我々に伝えたかったことがようやく理解できました!
医学の授業
3年生からはいよいよ医学の授業が始まります。
3年生と4年生でひと通りの医学の授業を受けていき、科目ごとに試験があるイメージです。試験には基本的に過去出題された問題と似た問題がメインで出るため、医学部の試験でなによりも重要なのは過去問です!これはいつの時代でもそうだと思います。先輩や同級生の友達に感謝しながら突破していきます。
病院実習
そして5年生からは病院実習です!
5年生で1年間かけて各診療科で実習をしていき、もう1回実習したいと思う診療科を各自が選び6年生で再度その科で実習をします。当時は将来進みたい診療科まであまり深く考えていませんでしたが、いま思い出すと6年生のときに呼吸器内科を選択して実習した記憶があるので、その頃から呼吸器内科に惹かれるものがあったのかもしれません(何か運命的なものを感じます)。
国家試験合格、そして広島へ
そして、6年生の冬に医師国家試験を何とか突破し、晴れて医師となることができました!
広島で生まれ広島で育ち広島を愛する人間として、やはり地元の広島で医師として働きたい気持ちが以前から強かったので、大学卒業後は広島で初期研修を行うこととしました。
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東広島市西条町助実の内科・呼吸器内科・アレルギー科の『西条すこやか内科』は、“広島生まれ広島育ち”の院長が診療しています!今後とも宜しくお願いいたします!
西条すこやか内科
院長 奥本 穣(呼吸器専門医・総合内科専門医)